「略奪」という言葉について考えてみた
Original Update by Kordian
東日本大震災では、海外メディアで多くの「日本では大災害の時でも略奪が起こらない」という記事となぜ起こらないのか分析がされている。
被災地の一部で小規模ながらも略奪行為があったことをウォールストリートジャーナル紙が報道した(参照)が、その後の海外の記事や意見は、概ね、あの状況では仕方の無かったこととして評価されているようだ。(*1)
しばらくは、国内のマスコミはこの事実に触れること自体を避けるだろう。(*2)
「略奪」という言葉について考えてみた。
「略奪」は「掠奪」とも書かれるが、「掠」の字が常用外漢字となったため同音の「略」を当てて「略奪」が使われている。英語ニュースでは "Why is there no looting in Japan?" のように "loot", "looting"が多く使われている。
「略奪(looting)」は、戦争や暴動、災害などの社会不安時に・軍隊や暴徒などが大人数で・暴力的に・奪い取る・ことを意味する。類義語の「強奪」は、個人や少人数が暴力的に奪い取ることを意味するが、ちょっと混同して使われている。
今回の震災でいろいろな人の意見を読んだが、平時なら少人数での「空き巣」や「窃盗」、「強盗」と言われる犯罪に対しても、甚大な被害を受けた被災地で起こった犯罪には「略奪」という表現が使われる事が多く、被災直後の混乱がおさまり支援やテレビカメラが入った後の犯罪に対してもしばらく使われていた。
同じ時期に、千葉県の被災地で強盗事件があっても「千葉で略奪」とは言われないが、宮城県や福島県、岩手県等の事件だったら略奪の実例だと言う人もいたことだろう。
暴動や災害の時の「略奪」と、その他の所謂「火事場泥棒」はちゃんと分ける必要がある。
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日本語では「略奪」という言葉がその意味の重さとは逆に簡単に使われている。
「餓死」という言葉についても、 Poem Lyric Revoさんとこの「「餓死」のリアリティ」で、日本人は「餓死しそう」といいすぎ、と書かれている(*3)。
どうも日本語では、こういう重い意味の言葉であっても感覚的に使えてしまうようだ。
「略奪」という言葉は「略奪愛」「略奪婚」のようなマスメディアが創作した言葉にもなり、ちょっと危険な香りのするロマンティックな雰囲気を持つ。今回、経済力を暴力に見立てた「買い占めは合法的な略奪」という(ナンセンスな表現だけれども自分でも何となく納得してしまう)表現もあった。
普段の日本国内で「略奪」行為を目にすることは無く、某世紀末救世主マンガ(*4)や小説、エンターテイメント映画などフィクションの中、あるいはハイチ地震や米国のハリケーン・カトリーナによる洪水の被災地の報道、各地の反政府暴動の映像など、外国で起こっている事としてしか知る機会はなかった。
実際の情報以上にそれら頭の中のイメージが投影され、リアリティが薄いまま簡単に使われていたように感じる。
現地情報が少ない中、「餓死」の言葉の例のように、極めて強いストレスを受けている被災者による強い表現の言葉が少しずつ伝えられていた(*3)。「被災地で略奪」という情報も(投稿者が本当に現地の被災者だったか不明だが)ツイッター上で流れていた。
噂の真偽が不明なままその情報が流れ、誤認されたり、伝言ゲーム化したりデマが混ざっていき、特にネット上であちこちから似た情報(最初の情報源が同じ場合も多い)を聞くことで余計に、頭の中の略奪のイメージが大きくなっていったのかもしれない。
特に、その中でも強い不安感を感じている人(例えば被災者)は、そのイメージがさらに膨らんだのではないだろうか。
しかし、この手の情報と接した時には特に慎重にならなければいけない。
必ずしも、最初に暴動などが起こっていて、強奪があり、さらに広がって略奪となるわけではない。
日本でも過去に、デマや扇動、誤認情報の拡散によって焼き討ち、暴動などのさらに大きな社会不安へと広がったことがあった(*5)。
しかしそういう歴史を知らないため、想像出来ないのだろうか。
今回、外国メディアで地震直後に「日本では略奪は起こっていない」「なぜ日本で略奪が起こらない?」という記事が多く書かれていた。
そのような日本を誇らしいと感じる、という意見を多く見た。
今でも、テレビや雑誌、ネットなどあちこちで目にしたり聞いたりするが、地震・津波から1ヶ月が過ぎた今はそういう「印象」にしがみつかないほうがいいと感じている。
誇らしく感じるならなおさら事実を見据えて、次の非常時にも略奪を起こさない対応策を考える必要があると思う。
「『大災害の時でも略奪が起きない日本』という安全神話」
ここで思考停止してしまうと、想定外の事態が起きたときには、その安全神話は脆く崩れ去ってしまうだろう。
(*1)批判の多くが、福島第一原発と放射能の方に向かったからかもしれない。
(*2)1〜2年後の「震災を振り返る」的な出版物や、4〜5年後の被災者の手記などで事実として小さく扱われて総括されると思う。
(*3)辰巳琢郎さんが自身のブログ(参照)で、被災者からの電話で聞いた「子供が餓死」という表現を載せたところ、その表現が一人歩きをし、あたかも他の避難所でも(市町村合併で消滅した自治体の避難所でも)起きているという、真偽不明の噂やデマがチェーンメール化した時に書かれた。
その後、辰巳氏がブログで「訂正と補足」を書いている。(参照)
(*4)ヒャッハー。似た作品は沢山あるけど、これが一番分かりやすい例なんで毎度使ってます。
(*5)米騒動や鈴木商店焼き討ち事件など、近代史を教えようとしない弊害じゃないかな。
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メモ
今になって蒸し返すな、という声が聞こえてきそうだけど、いろいろ調べたり自分なりに噛み砕いているうちにタイミングを逃してしまった。備忘録も兼ねて、1ヶ月の節目ということで。 (;´Д`)
英語、というか米語の口語では "loot" は贈り物という意味でも使われる(知らんかったー)。
「買い占めという合法的な?略奪?」をして、ちょっと後悔している方々には、それらの物資を被災地への "loot" 贈り物として送ってみるってのはどうだろう?ちょっと心理的に、面白い対応かもしれない。
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